2010年4月20日火曜日

ある電話での会話

「もしもし、おれだ。長くなるのだが、話をしてくれ。いったいどうした、とかいうのは一切抜きでお願いしよう。ひどく身体が熱いのだ。三日も前から。なにをやってもさめない。食欲もないし、吐いてしまった。一切眠れやしない。また性欲の一切もない。なにも変な電話ではないのだ。ただあまりにも心臓の辺りが熱い。どうもおれはいまうわごとをしゃべっているね? うん、よしとしよう! ああ、虎の腹のように熱い。いったいどうしちまった?」
「……わたし、行ったほうがいいのかな?」
「いやいや、勘弁…ちがった…このままにしてくれ。どうか。おまえが電話を切った瞬間に手首を切りそうだから、どうかお願いだから、その受話器をとりわけ放さないようにぐっと持って欲しい。このまえみたいには絶対にならないから! そうなりたくないだろう? じゃあ、このままでいて、ただただ、話を聞くだけにとどめるように、な、協力するというかなんというか。ああ、きっと前のときも今みたいに異常に熱かったにちげえねえぜ、おい。…血がね…どうもこの血の野郎が騒ぐときてる。なんというかな、血がね、いや、おれがね、おれではなくて、血がおれ自身で? それできっと血の野郎は身体の野郎を無性に出たがるんだな。どうも下品な話題に直行しそうだな。そんなのが好きだったっけ? あっは、おれも知らねえよ、小さな豚くん。いま豚くんは寝る前かな? それで、動物的パジャマときてる? まるで見えるようだよ、あっは。いちど月に行かなくちゃな。そんな顔してるよ、あんた! だれか信頼できそうな人に連れて行ってもらうといいかもな。ああ、電話を切ったら、手首を切るといったろう? くそみたいな熱さ! まあ、おれのことは気にすんな、、ってこんな電話したら気になって当然だったりしてな。いや、そこを我慢して気にしないようにするとか何とかいってよ? 腹の野郎がまだもめてやがる。訳分からんな。うん、よし! でもけっしてあまりにも熱いから切るってなもんではない。あと何回いったら分かるかな? いや、まだ言ってないか」
「まさか、ナイフ持っているのじゃない? ちょっとまって、いまから行くから。誰かも連れてくるから」
「だだだ、だめだって! 切ったら切ると百万遍言ったって! ナイフはない。そんなものもってたら電話する前にやっているに違いない。証拠として叩くよ。でも叩いたって何の証拠にもならんな。どうも証明不可能だ。そもそも、まあ、いうなれば、切っては駄目だな。あっは、二重の意味において切っては駄目ということだな。そんなにあわてたらつられてこっちも慌てて切っちまうって。迷惑かけてすまんな。そもそもおれが切るべきなのかもしれんが、そうしたらもっと訳分からんな。さあ、よしとしよう。まあ、よくは分からんが、分からないなりに、結局おしゃべりしなくちゃな。でなきゃ、最近は本当に死んでしまうかもしれん。まあ、訳分からんが。迷惑には違いないが、そもそも、ちょっ、いや、いまは何も持ってない。拳銃はとられちまったし、ナイフにいたっては、…まあ持ってない。舌はかめない。そもそも死の馬鹿らしさ、おまえとわたしときみとかれの違いなみに馬鹿らしい。ただ無性にほてっているんだな。そこで心底冷え切った冷却材のごときものを必要としているんだな。…でもそれは自殺じゃないぜ。二回もやりゃだれだって卒業するって。迷惑だったら是非、いや、むしろ切ってくれ。あまり話すこともないのかもしれん。あったかな? 苦手ならおれから切るよ。決断力の訓練はまず電話を切ることから始めなくちゃな。まあ、そもそもの話、おれが死ねるわけないよなあ」
「いま、わたしがそっちに行って、ゆっくり話すということも出来るのよ」
「うん! それが出来たらなんと素晴らしいことだろう! ちょっ、くそが! いや、まったく急いでいるわけではないのだが、急いでいるような、そうでないような。むしろ来るな。来たら死んでやる。死体のプレゼント、なんか前もこんな風なこといったような気がするが? まあ、冗談の類だな。もう一度言ったほうがいいかな? そうでもないか。もう、なにもかもが分からん。むしろ分かったら死んでやる!ってな気分かもしれん。ともかく、あとわずかしかない。いや、間違った! ちょっとした占いをしていてね、ハートのクローバーときた、微小なる仏滅の意味だな、すべてはマーヤってことでよ、おい。違った! マントラだっけ? 特に電話ではそうなんだな。ちょっといいかな。ゴソゴソ。いまなにを持っているか分かるかな? それをたくさんの人にあげようと思ってね。何をって? どうせ、おまえにもやるんだから、どうでもいいだろう? そのなかでいいやつを選んでやってやるよ。おお! 忘れてた。もう、最近、一ヶ月ぐらい会ってなかったな、そちらのほうはどうかな?」
「別に。まあまあ。取り立てて何もなし。あっても多分知ってる。一週間どこいたの?」
「うんうん、まあまあか! 絶妙に幸せってところだな、おい。だがね、核爆弾に対する常なる備えをしておかなくちゃな。パアになったらやりきれないって。どう思う? そういえば、おれの親友はどうしてるんだ? 今日は? いない? くそみたいなもんだな。そう伝えておいてくれ。あいつは親友だけど、あいつのことを何一つとして知らないよ。くそみたいなもんだな。ありとあらゆるあまねく事物はくそみたいなものだという気がしているくらいだ。でもどうでもいいな。還元主義を習ったっておれができる応用とはこれぐらいだというのは滑稽だな。ヘラクレイトスの卒論は無意味だったようだ。おおお、今すぐ、逃げなくちゃ。よし、逃げようか。」
「まあまあよ、あいつも。それにあんたと逃げるなんてキモうんざり。質問に答えないし。どうでもいいし。はっきり言って何もかもどうでもいいし。そうやって、ずっと一人でやっていけばいいんじゃない? それこそ、くそというもんだ。あんたほどみんなの死ぬほどの心配を無効化するのがうまいやつはいない。一回ぐらいあいつと顔をあわせるべきだね。そうやって避ける気持ちも分からないでもないけど。それも分からないけれど。それで結局、用件を要約するとどのようになるんでしょうか?」
「よし、来た! シエラザード姫様! 違った、逆だったな。おれがそいつだった! さて、さて、この話はひょんなことでおれの自分の頭に飛び込んできた思想というやつの話なのだが、真理の野郎は代償を払わないと得られん、といったようなそんな話なのだな。なんで、そんな話をする羽目になっているかというと、そんな羽目をおまえが作ったからに違いないな。おれには用件なんかなかったんだからな。とすると、なんで話してやがるんだ、おれの野郎はよ? ともかくもよ、この熱さよ、これが生じて以来まったくのところ、発狂しちまった。そんなことで頭が一杯なんだからよ。こんな電話でひょっこり現れるくらいだ、参るな。ともかく、あいつに話すと分かるかもしれないな。話すから、話してくれないか? ひょっとすると用件というのはそれだったのかもしれないわけでもないような、まあ訳分からんな。とりあえず代償だ。そこんところをきっちりと理解してもらわなくちゃな。真理というのはある種の知識に違いないわな。だが、むろん、二次方程式の解のようなやつとは違うぜ、分かってる? そんなもので傷つくやつはいない。それには何の代償もないからな。おれの言いたいのは、真理というある種の知識だな、このさい感覚といっちまおう、真理であると思われるような感覚をだな、誰かが知る、そのときに代償があるという話だな。というのもな、真理の感覚の野郎は不意に訪れる、だが常に言葉には出来ないんだな。それなのに、それが言葉にされる前から真理という事が分かっちまうわけであって、そこが真理の野郎の偉いところなんだな。しかもその野郎が訪れたとするよ、おれやおまえにだぜ、急に普通に生きてるおれらによ? するとどうだ、何もかもが無意味になっちまった! 昇進したかった、だけどそれもどうでも良くなる。もう少しでローンが終わる、それもまたどうでも良くなっちまった。また、異性関係やとてつもないアイデアや休暇や家族や、まあ、価値があるような何かがだ、どうでもよくなると来る! それも、言葉にもなってない、なると決まっているわけでもない、訳も分からず飛び込んできたそいつのためにだよ? まだ、そいつは単なる感覚に過ぎないのにだぜ! 笑うよまったく、あっは。真理の感覚の野郎はだよ、それ以外のおれらの持ち物に嫉妬するんだな、それにおれらもやつに夢中になる、そこでそれ以外見えなくなってしまって、どうでも良くなると来てるんだな。むしろ、マーヤとなり、消えうせてしまうようなもんだ。さて、こんなことで頭が一杯になっている自分なのだがね、この『来たり!』というのはどこかの本で読んだに違いないね。そうそう、この思想は『来たり!』と言うんだな。おそらくそのような『来たり!』が起こった人々についてまとめた本かなんかだったんだろうな。ガリレイとか聖書の蛇とかが出てくるような本。おれさ、そいつらのことで最近頭が一杯になっちゃってね、そいつらの思いがなんともはや曰くいいがたいっちゅうか… それでな、『本当のこと』という章もあるんだな。そこには一人の男の経験がのっているんだけど、これは夢かなんかで見たのかな… 分からん、おれにはさっぱり分からん。とにかく『来たり!』にでてくるような野郎はみな真理を知ることによってかなりの被害をこうむっているな。また、みながみな不幸であって、生前の成功など皆無、さらにわずかに言葉になったその感覚の断片でさえ、奇跡的に伝えられるのみに過ぎない訳。さらにその断片でも少なく共に三十年先に行ってようやく十全な理解が得られるといった按配なんだな。その『本当の事』の男、これは狂気だ。さらに真理までいまだに誤解され続けているよ」
「ちょっとまって! そのうぬぼれた男はあんたなんでしょう? だってあんたの話じゃいつもそうだもん。さらにまともな引用が出たためし無し。聞いたから知ってるんだから。すべての引用が創作。ほんとに大学でたのかな? 訳わからん本のごったまぜもいいところ。混沌の混沌の混沌。まあ、いいや。続けて」
「これもまたいわば誤解というやつかもしれないな。だが、あるいはそうかもしれん。覚えていないにしろ、典拠があったとしても、結局それで頭が一杯になっているうちにおれのほうから誤解するということもありうるかもしれんからな。まあ、だが、この男は『思索的』な男でな、まあ大学もまともに吸収できなかったおれとは違うわな。彼は『来たり!』の原理自体を探そうとした男、だからね、『来たり!』を意識的に捕まえようとした男なんだな。いわばファウストみたいなもんかな? ファウスト知ってる? その男はね、まずその『来たり!』の結果であるところのマーヤをだね、まず実現しようとした。つまりなにもかもを否定したんだな。そのあとに真理の光が現れるだろうと考えたわけだ。方法的懐疑というやつかもしれんな。デカルト知ってる? ところで、そいつの前に現れたのは悪魔ではなかったし、おのれでも、神でもなかった。全否定したからといってすぐに悪魔が現れると考えては早急に過ぎるな。だがそんなことは考えもしなかったかな、どうでもいいか。まあ、少し違ったのかもしれないな。それでもその男は少なくとも意識的にやっていたわけには違いないから、何かを期待していたことは事実だな。期待がある以上は期待通りのことが彼の身に起こった。期待を捨ててなかったという事が問題になるだろうが、まあ、ここは無視してな、何かが起こった。ここは、核心でもあるな、つまり人は皆自分が望むとおり選んだとおりの生活をしているということだ。生まれとか不運とかを考慮しても絶対的にだ。特に性格的にね。何、分かんない? じゃあ、はしょろう。それは仮定しておいて、世の中はね、そう考えていけば、自分の望みどおりにそれに応じてゆがんで見えてくるということだ。そう考えればこの男の見たものもまた幻だったような気がしてきたな」
「つまり、その希望の幻とやらについてとうとうと語るわけ? 宗教がかりながら?」
「宗教は違う! それはとんと外れてるな。信仰ではなくて理解とか実感だ。たしかにめったにないような不思議なそれではあるのだろうけれど、ただ不思議なだけで宗教といってしまったらどうしようもなくわかんないな。しかしこの説話『本当の事』はそのことについてはこういっていたように思えるな。人は皆それぞれ誰にも一生言わずじまいになってしまう決定的な秘密がひとつはあるわけだ。それがもしも言われるのであれば、おそらく決定的な時刻に決定的な場所で決定的な人に向かって言われるには違いないね。そこでこそ、この男の話は考えなくちゃあいけないな。そこは念を押して伝えてくれ」
「耳たこなほどにね。それで結局何ナノ? その見たものは?」
「すっかり忘れてしまったな。そこまできてるんだけれど、思い出せない。なにやら病理学的な夢のようなものだったような気はするな。ただ精神分析のような夢とは違う。解釈を通じて見えるような夢ではないことは確かだな。ああ、熱い。いらいらする。ところでな、おれは最近ね、夢と現実を自由に行き来できる瞬間を持った事があるよ。ああ、狂ったほうがましだ。ほんとうはこいつはおれなんじゃないか? かなり美化されているものの。だがどうでもいい。知らんしな。お願いだからあいつにいってくれよ。どうでもいいことだが。そういえば、はじめからなんも用事はなかったんだったな」
「十分おかしくなっているような気はするけれども」
「おそらくね、ああ、たまらない。ともかくも個人のいのちなんて実にくだらない。迷惑かけたな。くそみたいなはなしだ。暴れたくて仕方ない。この…受話器。くそみたいに語ったな。ともかくもよろしくだ。そのうちに会うんじゃないかな。いろいろあったあとにさ」

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