前書き(2000年当時に書いたもの)
これは短い物語の雑多な集積というべきものです。文体練習の結果できたものです。そのため随分に発想が若く、わたしを知る者には少し驚きかも知れません。その構想は高校卒業辺りに集まっているためだと思って容赦してください。
世の中の事象には教訓のあるものとないものがあると思います。物語もまたそうであり、この物語群は全くの教訓の無さに貫かれて描かれています。それは先にいったように若さゆえのことではなく、今でもわたしの中に流れているいかんともしがたい傾向です。教訓を得たこともなく、教訓を与えたこともわたしには全くありません。
わたしは全く物語を書くことが苦手なので、その練習にもしようと思ったのですが、やはりそこは難しい自分への注文でした。完成したもののうちで、出来る限り物語に近いものを並べたうえで、しかも最も短い形式の物を集めました。最後に短編程度のものがありますが、ほかのものはアフォリズムというか、わたしの作り上げた一種の形式に貫かれた形にまとまり、簡潔です。わたしはどうも長く複雑にしかも繰り返しだらけにものを考えてしまう傾向が強く、人をうんざりさせ、非社会的とも言われています。そこで、このような形式なら、ある種の容赦が得られるのではないか、と思われます。わたしにはとても苦痛な形式です。というのは短すぎて誤解に対する弁解や正当化を書くスペースがないからです。しかし新しい興味としてどのような誤解があるか、という楽しみもそこに生まれるでしょう。
この本が愛すべき読者の時間を奪うことが無いように。
前書き2(2010年4月)
「旧散文物語集」は、わたしが自分で書いた文章を誰かに見せた初めての小冊子である。それまで、雑誌のために原稿を書いてはいたが、自分が続けている文章ノートを公開することは無かった。というのは、それは大変未熟なものであるばかりでなく、未完成なものであったからだ。
けれども、実際は、ノート一ページに書かれてある数文を引き伸ばして、散文の形にしたものを小冊子にしただけというのが、「旧散文物語集」の内容である。夜、物語を一晩にどれだけたくさん考えられるか、と試み、やっつけたものが、この本におけるおよそ「準備された世界」までの文章である。
それ以降も、わたしは、この小冊子に対する愛着がずっと続いている。だから、断片的創作というものを自分の中での最も大切な方法として、今でも考えているのである。それで、去年、「散文物語集」という形で二度目の試みをすると同時に、それまでその時期に書かれていた同様の断片的創作をまとめて、「散文物語集」の完全版としたかった。けれども、それが予想外に大変めんどくさい作業であり、いや、やろうと思えば二日としてかからないはずだったのに、できなかったのだ。
この物語集は、その出来以上にわたしには愛着があるものである。
わたしがこうした創作に対する魅力をはじめて知ったのは、小学生高学年から中学生にかけて、しかも絵を描くことを通じてである。文章をパロディとして、そして絵を、特に人物画、それはリアリズムからデフォルトの漫画的画法にまで及ぶが、それをずっと続けているその当時、わたしは自分は当然のように将来は漫画を書くことになるだろうと考えていた。けれども、わたしには、まんがを一人で書くことは結局できなかったというほかにない。
この物語集によって、わたしは昔からの自分に対して、絵付きの物語集を与えるということ、そしてもうひとつ、物語ならざる、何なのかも分からないものを表現する文章という二つのものを与えることができることで大変嬉しい。
その二つは、中学生から当時までずっと夢のように思い描いていたが、さっぱり根気が無くてできなかったことであった。
2010年4月20日火曜日
街角にて
復讐の世界は決して人間の世界だけに綴じられているわけではない。天突く大都会! われわれは聴く。鉄砲のような物音……絶え間なく流れる道路の残響……何かが高速で飛び去ったことを示す布をこするような深い響き……叫び声……うなり……明らかにそれと分かる人の声……あるいは雨の音だろうか? これは猫の声だ。猫が六匹、角に隠れて身を潜め、何者かを待ち望んでいる…… 目当ての犬がくるといっせいにぎゃわんとなき飛びかかり、五分もすると犬は残骸となって横たわる。かみ殺した猫はいっせいに当たりに飛び去る。あたかも石をどけたときの虫どもがそうするように……
複製人間
「ちゃんともってきなさいね」
「はい! 先生をぜひお貸しいただいて、あなたの立体写真を撮りたいのです。わたしはその実用性皆無の作品の誠実な研究により、先生の人としてのイデアの完全に忠実な表現力を鍛錬し、きっといつか思うがままの複製を作れるようになるでしょう。あなたのなんともいえない……らうたしさ……いじらしさ……平均的な発達……それらの表現を……」
「明日にはきちんと持ってくるのね」
「はい! そうしてもうあなたの動きなどを正確にとってその全可能性自由な表現力を獲得し、そこにわたし自らの創案による動きさえも付け加えられるようになるでしょう」
「あるいは恋かも知れませんね、これは。しかしその純粋な研究としての側面を考えていただければ、そのような低級な感情に支配されないこの動機が分かると思います。恋はその人本来の動きさえ愛するということでしょうからね。これは優しい視点なのです」
「はい! 先生をぜひお貸しいただいて、あなたの立体写真を撮りたいのです。わたしはその実用性皆無の作品の誠実な研究により、先生の人としてのイデアの完全に忠実な表現力を鍛錬し、きっといつか思うがままの複製を作れるようになるでしょう。あなたのなんともいえない……らうたしさ……いじらしさ……平均的な発達……それらの表現を……」
「明日にはきちんと持ってくるのね」
「はい! そうしてもうあなたの動きなどを正確にとってその全可能性自由な表現力を獲得し、そこにわたし自らの創案による動きさえも付け加えられるようになるでしょう」
「あるいは恋かも知れませんね、これは。しかしその純粋な研究としての側面を考えていただければ、そのような低級な感情に支配されないこの動機が分かると思います。恋はその人本来の動きさえ愛するということでしょうからね。これは優しい視点なのです」
ベナレスにて
「おまえな、そんなに世の中のことを子供みたいに信用しているみたいだがな、昔も昔、世界の人口すら何万人しかいない時代に、インドで何も知らない人々の空前の国家ができた。石の宮殿に住み、今よりもずっときれいな水を飲み、今よりもずっと人々は戯れあい幸せに暮らしていたわけだ。そのおり、全く不合理に、どうしようもなく、アルテマという恐ろしいものがその人々を襲ってきた。人々はバターのように溶けて、意識も身体もないのにもがいて逃げようとしたよ。昔の石造りの宮殿は廃墟と化して岩石だけの形を残す。水は汚く濁り砂漠に付け込まれた土地には荒涼とした草原だけしかなくなってしまった。おまえ、世の中なんてそんなものよ」
「だからおれがいま研究しているのは、どんな整然とした数字でもめちゃめちゃにしてしまうようなランダム項なんだよ。その存在を無矛盾で証明できればもう、誰も働く気なんてなくなってしまうだろうな。生き甲斐をなくしてね」
「だからおれがいま研究しているのは、どんな整然とした数字でもめちゃめちゃにしてしまうようなランダム項なんだよ。その存在を無矛盾で証明できればもう、誰も働く気なんてなくなってしまうだろうな。生き甲斐をなくしてね」
私は裸を荒野にさらすのを厭わない
ああ、見えるだろうか、恐ろしくありふれていてやるせない、荒野が又見える。私はなすすべもなくへなへなと座り込んでしまう、自尊心で購入したひどく高価な服に身を包んでようやく開けられるようになった私の両眼は、再び無益と非生産に閉じられてしまおうとしている。この帽子のせいで眼はひどくちらちらするし、かつらのせいで耳はほとんど聞こえないし、何も、この大きな道程を前にして、希望となる道具はないのだ。感覚はなく、まるで死を背負っているかのようだ。生き死にしたようなものだ。
でも、聞けよ、おまえ、もういまでは、
私は裸を荒野にさらすのを厭わない。
たとえ、ひどく言い古された手垢だらけの言い草だろうが、言ってやる。
私は裸を荒野にさらすのを厭うことはもうない。
おまえは、私が非生産と怠惰の海へと乗り出そうとするのを目前にして、ひどく利他的な涙を流すことだろう。それでもわたしはこう言う。
私は裸を荒野にさらすのを厭わない。
くそっ、わたしは一体何枚の服を厚着してやがるんだ、ちきしょうめ! でも、まっとけ、
私は裸を荒野にさらすのを厭わない。
私は雑踏を歩いていた。私はそこの至る所に荒野が潜んでいるのを見出した。私がヒゲソリをするとき、鏡の向こうにやはり荒野が潜んでいるのを見出す。そこではひどく痛いだろう、ただひどく痛いということは分かる、石が裸の全身を打ち、熱は高まりつつ肌を焦がすことだろう。
だが、私は裸を荒野にさらすのを厭わない。
人は私をとても奇特な変人と呼ぶだろう。それなら、私は自分のことをひどく奇特な変人であると思い込もう。
私は裸を荒野にさらすのを厭わないから。
私は一回だけお前を荒野で見た。お前は、荒野でこっそりと、盲人に石を投げていた。それでもわたしは打たれに行こう。
私は裸を荒野にさらすのを厭わない。
仮定しよう。私は荒野の前にただ一人である。仮定しよう。お前も又荒野の中の加害者である。仮定しよう。世界中の人間は荒野の中の加害者である。仮定しよう。私は荒野を見ている。帰結しよう。私は荒野にはいない。
私は裸を荒野にさらすのを厭わない。
でも、聞けよ、おまえ、もういまでは、
私は裸を荒野にさらすのを厭わない。
たとえ、ひどく言い古された手垢だらけの言い草だろうが、言ってやる。
私は裸を荒野にさらすのを厭うことはもうない。
おまえは、私が非生産と怠惰の海へと乗り出そうとするのを目前にして、ひどく利他的な涙を流すことだろう。それでもわたしはこう言う。
私は裸を荒野にさらすのを厭わない。
くそっ、わたしは一体何枚の服を厚着してやがるんだ、ちきしょうめ! でも、まっとけ、
私は裸を荒野にさらすのを厭わない。
私は雑踏を歩いていた。私はそこの至る所に荒野が潜んでいるのを見出した。私がヒゲソリをするとき、鏡の向こうにやはり荒野が潜んでいるのを見出す。そこではひどく痛いだろう、ただひどく痛いということは分かる、石が裸の全身を打ち、熱は高まりつつ肌を焦がすことだろう。
だが、私は裸を荒野にさらすのを厭わない。
人は私をとても奇特な変人と呼ぶだろう。それなら、私は自分のことをひどく奇特な変人であると思い込もう。
私は裸を荒野にさらすのを厭わないから。
私は一回だけお前を荒野で見た。お前は、荒野でこっそりと、盲人に石を投げていた。それでもわたしは打たれに行こう。
私は裸を荒野にさらすのを厭わない。
仮定しよう。私は荒野の前にただ一人である。仮定しよう。お前も又荒野の中の加害者である。仮定しよう。世界中の人間は荒野の中の加害者である。仮定しよう。私は荒野を見ている。帰結しよう。私は荒野にはいない。
私は裸を荒野にさらすのを厭わない。
T
Tはだれとも文字の使い方が同じではない。Tは後ろから難渋に苦しむ性だ。Tはハープシコードを弾くことを覚える前に過去を知ることはない。ひどくかすれていてみすぼらしい、血を蒸留させて何度も塗りたくったようなそんな過去を。Tは愛を知る前に、いわゆる血の世間が一体どのような手段で彼を手なずかせていたかを知ったことは一度もない。血を蒸留させて何度も塗りたくったようなそんな手段を。Tは酒を知る前に、自らがどのような、かたい壁に囲まれて身動きが取れなくなっているかを知ることは一度もない。ひどくかすれていてみすぼらしい、血を蒸留させて何度も塗りたくったようなそんな壁に。Tよ。
改竄
大火事があり、ひとりの少女が助けを求めてわめき叫び、刻々と声の力を弱めてゆく。怠惰と臆病と自立心の欠如の気まずい雰囲気のなか、一匹の犬がさっそうと猛火の舌をくぐり抜け地獄の口の中に飛び込み、少女をくわえて戻ってくる。……歓喜……脱力……表彰……人々はどっと明るさを取り戻し、笑い喜ぶ。が、おもむろに再びまたその犬は崩れゆく牙城と化した屋敷の絶望の城門をくぐり、本能的に死の道をたどり炎の中へと消え去る。……あぜんとした人々の前に奇跡的に戻ってきた犬の口には、人形がくわえられていた。人々は笑いをやめ、奇妙な沈黙の中に取り残されるのを感じながら、かの犬を見つめていた。
(物語「消防犬」より)
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