急に足元がぐらつき、バネがちぎれたような音がしたかと思うと、わたしは夜の海に投げ出されていた。談笑していた妻があっという間に波間に飲まれて遠く、おぼれていて、近くではないが母の無表情な顔をちらりと見ることができた。わたしは小さな板切れを手につかんでいてその板はわたしを一時的に数日は生かすだろう。
夜なのに不思議な光が辺りを照らしている。
過去に向かう光の筋が母のほうに向かってのびていて、母の横顔を照らしていた。
未来に向かう光の筋が妻のほうへ向かっていてすべるように何かを必死につかんでいる、つかもうとしている妻の細い腕から全身を包み込んでいるのが見えた。
母の胎内の中にはわたしの歴史が見え、妻の子宮の中には私の子々孫々が戯れているのが見えた。わたしはこの夢の中で、板切れを与えることによって、母を助けるか、妻を助けるか、そのどちらかをして自分を殺すか、自分が生き延びるかを試されているように思えたが、でもわたしにもっとよく分かっていることは、この状況は、この選択は、つまりこの倫理学は「解なし」であることだった。ないように思えた。わたしとわたしの友人はもう十年もこの問題に取り組んでいて、解決できずにいたし、この夢の中でもきっと無理だろう。わたしは友人と共に板切れを離し、溺れ死ぬことによって、きっと全滅の道を選ぶだろう。なぜならロシアの天才小説家ミハイル・フョードル・ドフトエフスキィが言うように、愛無き生は地獄であろうから。
そのときもっと遠くから、あるいは別の次元からなのか、そんなことは知るもんか、もっと強い光と共にマザー・メアリーが現れて、わたしたちと海の群青色を照らし出した。その強大な光の下でわたしたちはそれぞれわたしたちであることの区別を失った。わたしはわたしでなくなり、妻は妻でなくなり、母は母でなくなり、あるいはまたわたしは妻であり妻の息づかいであり、あるいはわたしは母であり母の疲労であったし、また妻はわたしの選択に直面し、母は妻としてわたしの視線にさらされた。すべてを一体化する光の下でわたしたちの選択肢は意味を失い、マザー・メアリーのこんな声が聞こえた。
「ひとりはみんなで、みんなはひとりで、あなたは彼で、彼女はきみの分身で、きみが殺した男の傷はきみ自身の傷で、きみの敵の喜びときみに対する征服感は同時にきみの喜びであり征服感であり、そんなことがわからないきみはしんじゃえ! しんじゃえ! しんじゃえ!」
アキリウス様にささげる
返信削除彼のブログ「白鳥座」
「カルネアデスの舟板」
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「復讐するは我にあり」
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彼との十年来の話題をまとめてみた。