ある女たちは、顔をもはや童女のごとく幼児化させ、エネルギーを節約することによって異性をひきつけて生きてゆく。わたしはその生き方を幼児偽制と呼んでいる。頭が大きいこと、脳が大きいこと。幼児性、つきでた口唇、ひろいおでこ。つるつるであること、ざらざらしていないこと。眼の大きいこと。丸っこくてふわふわしており脂肪があること。
その顔は単なる表情のいくつかの単位の組み合わせに過ぎない。多くの場合彼女らは発音できる口さえ持っていないことさえある。つまり顔を幼児化に特化するあまりに頤が欠けてしまったのだ。あるいは、その他の機能的部分が。その他にも、表情の機能が衰退し、笑顔だけがずっと張り付いていたり、二・三のパターンによる反応の繰り返しであったりする。その顔が、まるで独立した生命であるかのように胴体に張り付いているが騙されてはならない。実はその胴体こそが彼女たちの本体なのだ。その胴体はさらに簡約化されており、ひょろりとした体格が多く、あるいはほとんど注意されないように省略されてある。その幼女に偽装された顔の微笑みだけで世の中をやりくりし行き抜き、それ以外のエネルギーを節約し、省いてしまうことによってもはや彼女は女と言えども別の生き物のように見える。もちろんそれは見分け方を教わっているものにとってのみであるが。
その顔にひきつけられた異性が結合した後に、その他のパーツが以下に簡素に造られており、多様性に欠けるかを知るであろう。その造りはずさんであり、張りぼての身体であるとすら言えるかもしれない。しかしそれはそれでかまわない。だからこの幼児偽制という生態は存在してきたし、存在し続けるだろう。
このような不感症的表皮の発達はむしろ進化の高等技術に属しさえするのだ。
げにおそろしきはその胴体よ。たこの吸盤のごとく、すっぽんの口のごとく、一度接着した獲物を離すことがない。またその目的に特化された本能が肥大化していることでその目的をよりよく果たすように作られているのである。
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