2010年4月19日月曜日

ともみ

 小さい頃はよく一緒に遊んだ近所の同級生の娘が、ぼくが中学三年生のときに、お金持ちの偉い人のところに養女に行ったのを覚えている。名前はともみ、小さ眼ではそれほど特別な美人にも見えなかったし、特殊な才能を持っているという話を聞いたこともなく、ぼくは、養女、つまり或る男、きっと年配の男の実質上の妻として、つまり養女あるいは婚約者として、どのようにみそめられていったのかは知らない。ただぼくらの集落はひどく貧しいところで、ともみの家は、木造が露出してあるほど貧しい家だったので、何か集落にとっていいころにでもなれば、と大人の人たちはよく語っていた。
 翌年、すでに義務教育を終えたぼくもともみも当然のようにして社会へとはばたいた、といっても何かが変わるわけではない。ぼくは外回りの仕事を選んだが、朝の六時には準備を始め、夜の十時にようやく事務所で閉めるといういささかつらいものであったが、ぼくも十五歳になった立派な男である、それでも多くの人たちが部屋の中で、あるいは現場に縛り付けられてカリカリやっている昼間の明るいときにいつも外にいられる開放感ときたらすべての生命をささげてもぼくが欲しかったものだった。ぼくは、ぼくが住んでいる土地の事情について、半年でその土地のどの大人をも超える知識を得たと思う。つまりほとんど天職で呼吸するようにすべての業務が身についた。ある日、そのともみが嫁いでいった家の前に来たとき、だから、信じられないほど高価で豪華な服に身を包んだともみが庭で、巨大なホースを持って、花に水をやっているのを発見したとき、びっくりしてしまった。ともみは十五から十六歳の同級生をはるかに追い抜いた文化的水準と文明的水準で、ぼくらと同じ半年を生き、すでにぼくらから遠く離れたところに存在していた。およそぼくの町では見たことのないような教養的瞳をし、その美しさといったらぼくが本の中でしか知らない単語、つまり令嬢といったものに該当すると思われた。さすがに苦労にやつれて細くなっていたが、すでにぼくの集落の近所の同級生のともみではなくなっているように思われた、そのことをよく覚えている。
 十八から十九歳にもなると、ぼくも責任ある仕事を任されるようになってきて次第に忙しくなってきたし、結婚のことを寝物語の冗談のように考えるような女の子も何人かできたのだが、だからともみの家に仕事で行ったときには実は、自分の周りに比べての成熟ぶりに自信を持っていたぼくは、ともみに会うのが楽しみであった。苦労していないだろうか、慰めてやろう。ところが広い庭先を歩いているうちに鋭い金切り声が聞こえてきたと思ったら、女が誰かを激しく怒っているのである。さらに近づいてみると、十八になったともみは四から五人の大人をあごでこき使っていたのである。つまりもう二年ほどは前になるのであろう、そのときにはすでにともみは大人に当然のように指示や命令を与える立場にいて、いまや当然のように慣れたといった風情で、二百ボルトほどの存在感を持っており、ぼくはともみに類する他の脆弱な十八歳くらいの女を見たことがまったくなかったものだから、肝をつぶしてしまった。無口でいると、
「来たわね? 何を突っ立っているの?」
 とともみがあまりにも速い速度で、つまり早口とぼくには感じられるような速度で話しかけてきたので、ぼくも、
「ぼくのことを覚えていますか?」
 と早口で言った。ともみは、ぼくを軽蔑の眼こでちらりと眺めたかと思うと、もはや十八歳以上のどんな女性にも見たことがないような「微笑み」でぼくに答えてくれた。その日はなにもかも肝をつぶすような経験ばかりで、ぼくは次の日にはすべての友達の女の子とのつきあいを絶ってしまった。すべてが幼稚に思えた。それからぼくはともみと三ヶ月仕事の付き合いをしたが、教育と智慧に充ち、また美と高貴を備えたともみが、ぼくと小さい頃十字架をした同じともみとはとても思えず、毎日々々新鮮な感情が湧き、仕事が終わるころにはぼくはアルコールびたしになっていた。さすがに自重し、さとされもし、自分を本来のレベルで観察ができるようになった頃にはぼくはともみのことをそんなに思い出すことも無くなっていった。
 それでも二十歳ぐらいになると、ともみと夫のたえず続く不仲・喧嘩、要するに夫の浮気などの噂がたえず続いているというのを聞くようになった。ともみが我々同級生を遥かにしのいで身につけた道徳と精神がきっとどんな問題をも解決するさ、とぼくは信じていたが、ぼくと妻が結婚し、実家を三倍の大きさに改築した二年後に、信じられないような報が飛び込んできた。ともみがこの集落に帰ってきたというのである。家の中に閉じこもり、訳の分からないことを言っている。ぼくは急いで集落の若者と二人で、ともみの家に向かうと、すえたような匂いと共に、フラフラしたともみが入り口、その家に入り口があるとすればの話だが、から飛び出してきた。見ると放心状態で、酒か、それに類する薬剤を使用しているらしい。それから今までともみは集落の重荷であり常時監視下に置かれている。生活はかつての夫からのわずかな、この集落の基準からいってもわずかな送金がある。ぼくはほんの小さかったころのぼくとともみの或る瞬間を思い出す。
 水なし池の土手に腰掛けながら、ともみの目は遠くの異国、いや宇宙、いやエデンそのものにまで向けられているように感じた。ともみの口はとめどもなくああしたいこうしたいの夢を紡ぎ続け、こんな言葉があったのを覚えている。
「なんてことないの。たいした奴じゃあなくってさ。そうじゃなくって学校とか人間とかみたいないとんなものに疲れきったときにさ、いつでもわたしが使いすぎている頭をちゃんと理解してその男は飴玉をくれるのよ。あぶらっこいのも好きよ。できればたくさん予備の分も、つまり缶に入ったタイプであげるのもいいけれども、缶に入ったものは一人でこっそり食べるのに取っておいて、やっぱり飴玉をくれるのがいいのよ、つまりいい男よ。よかにせ。わたしが当然のようにハリウッドオスカー女優への階段を上がっているときはね、ものすごい速度で上がるわよ、でも時々障害があって疲れ果てちゃうでしょ? そのときわたしが速度をゆるめるとハァハァ息を切りながらようやく追いついてくる、わたしに追いつけはしないけれども本質的には離されることがない、そんな男、なんてない男なんだけれども…」
 ぼくは燃えるような瞳をともみに捧げていた、五歳だけれど。
「そんな男はいないんだわ、チェッ」

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