2010年4月19日月曜日

小学生作文コンクールテスト入賞作品「依存性のない多幸感」捦賞

 依存性のない多幸感があると聞きます。
 依存性のないこととは、また欲しくならないこと、何度も欲しいと言ってがっつかないことであり、また、多幸感とは、しあわせいっぱいのことらしいです。
 そういう薬を作っている(朱ペン先生「栽培している」)おじさんから聞きました。
 つまり、おいしくってきもちよくってしあわせいっぱいになるのに、もう一度ほしくならないと言うのです。そんな幸せがあると言うのです。
 矛盾です。逆説です。ありえないです。訳が分からないので、死んだほうがいいと思います。
 わたしはわあと叫んで耳をふさごうとしましたが、おじさんは、
「あるんよ、あるんだよ、依存性のない多幸感があるんだよ、でももう一度欲しくならないから、みんなが知らないだけなんだよ」
 と逃げるわたしを追いかけてきては、耳元で繰り返しそのようにささやくので、その五回目以降には、おじさんが言うよりも早くわたしの口がそのセリフを勝手につぶやくようになるほどでした。そのような無理やりな智慧を教育と呼ぶのなら、教育と言うものは厳しく苦しいものですが、こんな教育もあるのですか。もちろんわたしは義務教育以外の教育は断固として拒否します。もちろんとりわけ依存性のない多幸感のことなんか知りたくありません。
 ありません…、とあたしは言いました。でも… とあたしの胸の深い直感がささやいてきます。もしかしたらあたしは、もう一度欲しくならないだけで、そんないやらしい楽しみをすでに身体で知っているのかもしれない。そんなふうに思うんです、嘘だと言って。でもあたしがそのことを知ることはないんです。死んだほうがいいですか、いかがですか?
 大人の世界は恐ろしい疑惑に満ちています。

1 件のコメント:

  1. 友人の猫ん氏にささげる
    彼とともに書いた「喪服の少女と脱獄囚」
    で、
    彼が使った言葉が頭に残っていて、
    それ自体が主題となった。
    http://www.nils.ne.jp./~st3104/archives/archive/novel/neko_mizu.html

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